「安定した地盤」は安全な住まいづくりの基本です。

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看板

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父親の法要の為、帰阪しました。

晩年の父は寝たきりで、多少の痴呆もありましたが
母の献身的な世話で幸せな人やと子供ながらに思ったものでした。

父の好きだった食べ物のひとつが「大福餅」

元気な頃から食の細い人でしたが、これだけは別腹の様で
ある日、好物の大福餅を買って帰ると綺麗に包まれていた包装が解かれ五つ買ってきたのに一つしか残っておらずチョコンと横に座る父に

「大福餅食べた」

「ワシは食べていない・・・」

「一つしか残ってないけど・・・」

「ワシは知らん」と言い切るのですが

父の口のまわりは真っ白、着ているセーターは白い粉が目一杯付いています。

「白い粉は何や?食べてるやん・・・」

「ワシは知らん・・・」と言い張る父が可笑しく笑ってしまい
介護疲れを癒してくれました(笑)

21年前の10月の終わり、主治医が時間の問題ですと言われた時
私には父が亡くなる日が明確に予想出来ました。

11月10日の夜12時を過ぎ
父の息が細くなり旅立ちました。

11月11日は母との結婚記念日
母への御礼なのか、最後に粋な事をして
自分の生を全うしたのだと思いました。

寝たきりの父の跡を大学卒業後
すぐに継ぎ、早くも来年で30年が経過します。
父の創業した社名は漢字が難しく字数も多いので、領収書を書いてもらうのも
気の毒になったりします。

一時期、同業他社は英語バージョンに社名を変えたり
新設会社も英語でカタカナが多くなり

正直、私もと考えたのですが・・・

結局、変えたところで業績上がるわけでもないし
馬鹿らしくなり、社名は変えず現在も

株式会社 浪速試錐工業所です。

それでも英語で書くと結構いけるんやないかと自分の中で手打ちして
作った看板を事務所玄関ホールに掲げてあります。

戦争参加世代で、学校での英語が禁止だった父にはどやされそうですが

別の意味で「ワシは知らん」と言ってくれるのでは思っています。


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